1990 年 1 月 17 日、Windows コンソシアムによる世界同時発表がおこなわれた。発表された内容は、日本の Windows コンソシアムが海外において Windows の普及に貢献している団体との提携をすすめていく、という主旨だった。
「Windows は成功するか?」
この素朴で重大な疑問を当時のWindows コンソシアム事務局を務めるジーク社の福井源氏に尋ねてみた。
福井氏へのインタビューは、世界同時発表の当日におこなった。発表の内容は、アメリカ、フランス、イギリスで Windows や Presentation Manager のアプリケーションソフト普及に務める団体との交流を目的とした提携であった。日本を含めて世界四ヶ国にわたる提携先は、次の三団体である。
・WPMA(The Windows and Presentation Manager Association) アメリカ テキサス州
・WPMA France フランス パリ
・OS/2 User Group イギリス ロンドン
提携の主な目的について福井氏は次のように説明している。
「アメリカなどの海外のソフトハウスが、日本でソフトを販売する際に、日本語化への諸問題の提示から移植先の紹介や、販売チャネルの提供までを含めて、Windows をバックアップする環境作りを目的としています」
具体的な活動としては、3月のサンディエゴで開催されるSPA春季シンポジウムのカンファレンスを通して、「日米(ソフトハウスなど)の集団お見合い」(福井氏)を予定している。
Windows コンソーシアムの役割は、「ワールドワイドであり、世界的な環境に育ちつつある Windows が提供するユーザインターフェースを中心にした、パーソナルコンピュータの環境を活かすための舞台作り」にあるという。アプリケーションソフトや周辺機器を、ユーザのニーズにマッチした情報として、流通や販売業者を含めてシステムの提唱を推進していくことが、主な目的だった。
「Windows がハードウェアや日米の PC の格差を吸収する」とコンソーシアムでは説明した。Windows が動作する環境上では、Windows の作法に従って記述されたプログラムが、日米のパソコンを問わずに動作するようになるという。確かに、マイクロソフト社の EXCEL は、PC-9801 シリーズでも AX パソコンでも Windows 上で動作した。しかし、日本語入力フロント・エンド・プロセッサのVJE−βは、相互のハードウェアで利用することができない。さらに、PC-9800シリーズに限っていえば、Windows Ver.2.1 以降のバージョンでは、8086 や V30 を CPU として搭載しているハードウェアでの動作が保証されていない。格差の吸収が夢に終わるのではないか、という疑問があることも事実だった。
現状の問題に関しては、「CPU の進化に合わせた環境の進化」が Windows であると福井氏は語った。確かに、米国の PC 事情に比べて日本の PC マーケットは、複雑で混迷していた。プリンタなどの周辺機器をみても、各社の企業競争による独自のインターフェースや、コマンド体系が乱立しユーザの混乱を招いていた。
「Windows はソフトのファンクションの共通化」にあると福井氏。
Windows が提供するファンクションによって、アプリケーションソフトの操作面での統一や、プリンタインターフェースなどの統一により、ソフトハウスが抱えている各社プリンタへの対応のための諸問題を解決できる、という可能性を秘めている。すでに、コンソシアムにはいくつかのプリンタメーカから、Windows 対応のプリンタドライバの提供が具体的に検討されていた。
操作面での統一は、独立系ソフトハウスにとって現状の利用者離れが予測されるという問題はあるが、ユーザ側からみれば複数のソフトを同一の操作で処理できる、という利点が生まれた。かつて、日本語入力フロント・エンド・プロセッサの ATOK が、ワードプロセッサソフトの一太郎から独立したことにより、多くの一太郎ユーザが MS-DOS 上の日本語入力環境を快適にすることができた。Windows が目指している操作環境の統一も、日本語入力の共用化のような作用をもたらすといえるだろう。
「Windows は成功するか?」という疑問に対して、コンソーシアムは「成功」こそが目標だと解答した。
「物を買うには買わせる要素と衝動が必要になります。Windows の利用に踏み切らせるプラスアルファの付加価値を、コンソーシアムでは用意していきたい」と語っていた。
かつて、MS-DOS の登場によりハードウェア格差の解消が期待されていた。しかし、現実の結果は、互換性が確立できない状況を招いてしまった。Windows コンソーシアムが目指す環境は、「MS-DOS の失敗を繰り返さず、ハードウェアと周辺機器の垣根を取くこと」だった。
工業製品であるパーソナルコンピュータとソフトウェアは、利潤の追及という使命を背負わされている。Windows も無論例外ではない。理想だけでは成立しない世界に、ソフトハウス、流通、販売、という各社の「売るための思惑」を逆手にとって活動していこうとする Windows コンソーシアムは、今までにない協力体制を確立できるかもしれない。
物は、人の情熱によって作られてきた。人が作ったものは、人の熱意で売られていく。Windows は、OS を取り巻く環境をより良くしたい、という思いで作られたシステムである。そして今、その熱意を受け継ごうとする者たちが現われてきた。パーソナルコンピュータビジネスの中心にあるものは、ハードウェアやソフトウェアではなく、「人の熱意」であろう。
「Windows の環境に石の波紋を投げかけたい」といったコンソーシアムの熱意が、「プラスアルファの付加価値」に変わるとき、Windows は成功への鍵を持つことになるかもしれない。
(著者:田中亘 wataru@yunto.co.jp)