Windowsの歴史を紐解く過去の記事 【1990年1月】
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田中亘 |
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■Windows 3.0 前夜
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Windows/286のデザインを継承したWindows/386
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1989年には、日本でもWindowsが大きく注目を浴びる出来事が、二つあった。その一つは、マイクロソフト社のEXCELの発売だ。Macintosh上の表計算型統合ソフトとして有名なEXCELが、日本のPC-9800シリーズでも Windows環境上での動くようになった。現在では当たり前のことも、10年以上前には驚嘆すべき出来事だったのだ。
そして二つ目は、IBM社が新型パーソナルコンピュータのPS/55Z(モデル 5530Z SX)を発表したこと。かつて JX パソコンで個人市場に挑み敗れた IBM 社が、PS/55 Z を Windows マシンと位置付けて個人市場に再挑戦してきたのだった。
加えて1989年には、PC-9801 シリーズのWindows 2.11の定価が 20,000 円(2DD タイプは 19,000円)になり、ハードディスクや EMSメモリなどの周辺機器も低価格化が加速した。
一方、Windowsで動作するアプリケーションソフトは、まだまだ充実していなかった。1990年当時は、一太郎やロータス1-2-3のようにMS-DOS対応の売れ筋アプリケーションソフトが定着し、MS-DOS を取り巻く環境がビジネス市場での市民権を得ていた。ワードプロセッサや表計算ソフト、データベースなどは、あえて Windows の環境を用意しなくても MS-DOS 上で必要充分な機能を得られたのだ。
しかし、マルチメディアという新たなパソコン利用の可能性という波が、既存の MS-DOS が提供する CUI 環境の限界を訴えている。さらに、鳴り物入りで登場した OS/2 も、国内での普及を援護するアプリケーションソフトやシステムが登場していないことから、MS-DOS の延長としての Windows に対して期待が寄せられていることも事実だ。ハードウェアの進化により、当初は否定的だった Windows に対する意見が変わりつつあった。
★Windows に対する各社の戦略事情
期待が高まる Windows ではあったが、ハードウェアメーカーの戦略事情となると、日米をふくめた各社の思惑が交錯していた。特に「共通のプラットホームを目指す」という Windows の主旨に、国内最大のパソコン市場を持っていた日本電気が、積極的なアプローチをとるか、という疑問があった。PC-9800シリーズを支える最大の力は、10000本を越えるソフトウェアの量にあった。ソフトの数という力は、PC-9800シリーズの一部の熟れ筋ソフトだけを移植しても、自社のパソコンの販売促進につながらない他社の状況からも伺い知れていた。Windows の推進による「ソフトに共通なプラットホームを」という戦略は、日本電気をもう一度パソコンの市場争いのスタートラインに立たせよう、という各社の思惑が強かった。
第二に、日本電気の PC-9801の国際的なプラットホームの弱さを指摘して登場した AX パソコンの不振もあった。PC-9801 が背負っている「過去との互換性」に縛られない AX パソコンは、Windows が動作する最適なハードウェア環境を最初から提供していた。しかし、新たな国内標準を目指した AX パソコンは、対応ソフトの伸び悩みがそのまま販売にも影を落とした。
そして、IBM の 55Z が、MS-DOS J4.0 という OS と Windows を引っ下げてパーソナルなパソコン市場に、AX パソコン陣と PC-9801 に対する挑戦状のような形で登場した。価格とシステムで個人のマーケット発掘を指向したハードウェアだが、日本電気も Windows をまったく無視しているわけではない。
★Windows/386
日本電気は Windows/386 に、Windows の可能性を見いだしていた。Windows/386 は、MS-DOS 上のアプリケーションソフトをマルチタスクで複数動作させることができる Windows だった。いわばWindows 3.0のルーツにあたるWindows。このWindows/386 を利用すれば、一太郎と LOTUS1-2-3 を交互に切替えて使用することが可能になった。つまり、Windows/386 があれば、従来のアプリケーション資産を継承したまま Windows のソフトも利用できるのである。日本電気にとっては、過去と未来をつなぐ架け橋となってほしてシステムであろう。Windows/386 普及の唯一のネックはハードウェア環境だが、PC-9801RS21 のような 386SX マシンを主流機種に価格設定して各社のパソコン戦略に対抗していた。インテルのSXシリーズは、現在のCeleron戦略のルーツ。一部の機能を取り除いた低価格なCPUによって、コストパフォーマンスのよいPCの提供を可能にしていた。
しかし、当時のパソコン戦略の鍵を握るものは、「互換性」と「資産の継承」にあった。二つの鍵を吸収できるプラットホームとしての Windows には、パソコンメーカー各社の熱い戦略事情が向けられていた。成功を期待された環境である Windows は、パソコンメーカーの利益が見え隠れした。
それでも、Windowsによるビジネスの決定権を持つものは、最終的に利用者にある。過去との継承をテーマとする日本電気、新たな標準を Windows に求める AX 陣営、再び個人市場に挑戦した IBM と、各社が望むものは 32 ビットパソコン市場のトップに立つことであった。8 ビットの CP/M から、16 ビットの MS-DOS に世代が代わったように、Windows を取り巻く戦略事情は、32 ビットの時代という変革期における革新と保守の闘いとなった。
それが、Windows 3.0の登場前夜と呼べる日本のPC市場だった。おそらく、AXやMS-DOSという言葉や存在する知らないユーザーが増えている現在にあって、過去の経緯は無用のものかもしれない。しかし、振り返ってみればWindowsの今日の成功は、こうした課題を解決した成果でもあるのだ。常に利用者が本当に望む機能やサービスを提供してきたからこそ、Windowsは爆発的な成功を収めた。そして、その基本が失われない限りにおいては、今後もPCのメインストリームとして存在していくだろう。
(著者:田中亘 wataru@yunto.co.jp)
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