The Musium of Windows Consortium
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古川会長インタビュー(短) 【1990年】
敗れさった窓たち 【1990年】
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Windows 3.0の魅力 【1991年】 
Windows 3.0のインストール 【1991年】 
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Windows Ready To Run【1993年】
Windows 3.1のインストール 【1993年】
Windows 3.1の日本語処理環境 【1993年】
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Windowsの歴史を紐解く過去の記事 【1993年5月】

田中亘


■Windows Ready To Run
1993年の5月に登場したWindows 3.1の日本語版は、事実上の本格的な日本語版のWindowsだった。Windows 3.1では、現在のWindowsと同じようにプリインストールという販売方式が採用された。当時Read To Runという名前でキャンペーンが展開され、各社がプリインストール機を揃えていた。




PC-9821シリーズ

★Ready To Run

Ready To Runは、マイクロソフト社が推進するキャンペーンで、Windows 3.1が搭載されているパソコンすべてに、"Ready To Run"というシールが貼られていた。マイクロソフトの目指したReady To Runは、パソコンを買ってきて開梱したら、ケーブルを繋げて電源を入れるだけで、Windowsが使えるようになるものだった。
マイクロソフトが提供していたWindowsは、Microsoft DOS Ver.5.0/V対応の製品と、PC-9800シリーズおよびその互換機用の二種類。当時は、日本電気とエプソン以外のパソコンメーカーは、何等かの形でMicrosoft DOS Ver.5.0/V、もしくはそれに準拠したMS-DOSを搭載したパソコンを販売していた。
すでに当時の米国では、新しく出荷されているパソコンの80%近くが、このReady To Run仕様といえるWindowsのプリインストールモデルになっていた。どうしてWindowsのプリインストールが、米国でこれほど普及しているのか。その理由をマイクロソフトの成毛真社長(当時)は、「米国でのパラダイムが変わった」と説明した。
コンパックやデルといった大手のパソコンメーカーでも、2年前にはWindowsをプリインストールしたモデルはなかった。反対に、Windowsのバンドリングという販売モデルを最初に用意したメーカーは、国内の日本電気だった。日本電気では、1986年の12月に、Windows 2.11をバンドルしたPC-9801VX4/WNというモデルを出荷している。さらに、翌年の1987年8月には、ハードウェアを強化したPC-9801VX41/WNを出荷している。
日本電気のパソコンは1993年当時、30機種100モデルあり、Windowsのインストールモデルはその中の一部という位置付けだった。
日本電気でパーソナルコンピュータ販売推進本部を率いる富田克一本部長(当時)は、「これからパソコンを普及していく中で、人に優しいマンマシン・インターフェースと、職場でも家庭でも使えるロケーション・フリーの実現が、重要だ」と語っていた。
日本電気が掲げるこの二つのテーマのうち、マンマシン・インターフェースに関しては、「Windowsというプラットホームの世界で広がる」と富田本部長は予測した。パソコンの普及は、当時の1000万台から、一人一台や一家に一台の時代になれば、まだ5000万台以上は出荷できる市場規模になるといわれていた。そのような状況になった時に、ベースとなるOSは、Windowsしかない、と日本電気も考えていたのだ。

★ハードウェアメーカーの対応

1992年から日本IBMは、DOS/Vブームの人気に合わせて、積極的なWindowsプリインストールモデルを投入した。Windows 3.1を待たず、Windows 3.0とアプリケーションのサンプル版を入れたキャンペーンモデルを用意した。「人気は上々だ」と日本アイ・ビー・エム情報システムのパーソナル・システム事業部でPC営業開発本部を率いる堀田一芙本部長(当時)は、笑顔を見せていた。
Windowsに対する積極性では、デルコンピュータも引けを取らなかった。同社では、Windowsだけではなく、実際に使えるアプリケーションを組み込んだキャンペーンキットが、飛ぶように売れた。中でも、ExcelとWordをインストールし、8MBのRAMに200MBのハードディスク、そして17インチモニタまでセットにしたキャンペーンキットは、1993年4月1日の告知前から申込みがあった。
コンパック社も、ハードディスク搭載モデルに関しては、みなWindows 3.1をプリインストールして出荷した。コンパック社は、米国で1992年に発表したProLineaなどを中心に、Windowsのプリインストールに対して積極的な展開を開始した。2年前には、Windowsのプリインストールモデルを出荷していなかっただけに、その急激な対応の変化には驚かされる。これは、それだけ米国ではドラスティックに、市場の要望に反応した事実の証といえる。
当時から、コンパックのプリインストールモデルには、Windows 3.1のフロッピーディスクが入っていなかった。ハードディスクの中にフロッピーディスクのイメージファイルがあり、附属のユーティリティを使って、自分でフロッピーを作るようになっていた。

★快調だったPC-9800シリーズ

1993年2月に、ソフトウェア研究所が集計したデータによれば、Windows用ソフトウェアを開発している現場では、過半数を越える59.7%の開発者が、DOS/V対応マシンを使っていた。「WindowsならばPC/AT互換機」という認識は、パソコンの開発現場では、かなり高まっていた。この数字を元に、日本IBMでは、「WindowsがPC選択を自由化する」と訴え、Windowsのプリインストールモデルが増えれば増えるほど、パソコンの選択基準は、みな均質になり、日本でも「オープン化」の波が来ると考えていた。
しかし、1993年の1月から3月までの三カ月間に、日本電気は合計で37万台のパソコンを出荷し、Ready To Runによるプリインストールモデルの出荷を待たずに、Windowsのためのパソコンを求める98ユーザーは増えた。


PC-486シリーズ

★課題を抱えていたPC-486シリーズ

日本電気に対して、Windows 3.1のプリインストールモデルが、三カ月近く遅れてしまったエプソンでは、コンピュータ・システム事業部の木村登志男事業部長(当時)が、焦燥感をつのらせていた。1992年にPC-486GRで98互換機市場をリードしたエプソンは、プリインストールモデルに対して、懐疑的な見方をしていた。木村事業部長によれば、PC-486PをベースにしたWindowsプリインストール・モデルの売上が、期待通りに上がらなかった。
エプソンでは、PC-486Pをベースにして、3.6MBのメモリと、100MBのハードディスクに、ディスク圧縮ツールとWindows 3.0をインストールしたキャンペーンキットを販売したが、その売れ行きは三桁止まりだった。実質的な価格では、98FELLOWに対抗できるPC-486Pだが、パソコンショップの店先では、どうしても標準小売価格の比較になり、競争力が発揮できなかった。
当時の日本の個人ユーザーは、パソコンのマニア層が中心で「インストールは自分でやるもの」と考える傾向にあった。ハードディスクやメモリなども、自分で選んで自分のマシンに入れるので、プリインストールのような押し着せの商品は、受け入れられないのではないか、という疑問もあった。
しかし、米国での本格的なプリインストールモデルの立ち上りは、Windows 3.1からなので、日本での勝負も3.1となっていた。結果的にエプソンのWindows 3.1対応の遅れは、非常に大きなマイナス要因となった。

★Windows Compatibleマーク

Ready To Runと合わせてマイクロソフトが行ったキャンペーンが、Windows Compatibleだった。マイクロソフトでは、サーティファイ・テストという試験を通して、プリンタやディスプレイドライバなどの互換性動作を確認し、Windows 3.1上でアプリケーションが正しく動作するかどうかを検証し、問題のない製品に関しては、Windows Compatibleの認定シールを貼り付けるキャンペーンだった。
しかし、日本のWindows環境は、そのプラットホームとなるハードウェアが、PC/AT互換機と98系に分かれるので、98MATEのユーザーがWindows Compatibleシールを信じて、PC/AT互換機用のグラフィックカードなど買ってしまう危険性はぬぐい去れない。そのため、いたずらにWindows Compatibleの認識とロゴだけが一人歩きしてしまうと困るので、マイクロソフトとしても、キャンペーンの展開には米国よりも慎重な行動を取らざる得なかった。


★すべてはWindows 3.1から変わった

どうしてプリインストールモデルが主流となったのか。その最大の理由は、「ユーザーの求めるパソコン」の提供にあった。米国では、パソコンを使うことがWindows 3.1を意味するようになり、パソコンを使ったビジネスの生産性向上に大きく貢献した。ある調査によれば、MS-DOS対応のアプリケーションを習得するために必要なトレーニング時間に比べて、Windows用アプリケーションならば、かなりの教育時間を短縮できるとの結論が出されていた。
パソコンにWindows 3.1とアプリケーションさえ入っていれば、ユーザーはそのアプリケーションの利用だけに集中すればよい。アプリケーションを使って、本当に重要な意志決定のためのシミュレーションを計算したり、企業活動に貢献するデータ作りに集中できる。
Windows 3.1のプリインストールモデルは、その「パソコンを使う本来の目的」を実現するための最短距離を目指したパソコンの姿だった。そして、プリインスートルモデルを生み出した原動力は、マイクロソフトでもなければ、パソコンメーカーでもなく、Windows 3.1が使えるパソコンを指示した米国のユーザーの声にあったという。いまでは当たり前になっているプリインストールという形態も、1993年の日本にとっては画期的な出来事だったのだ。

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日本電気のプリインストール機の例
出荷時期 機種モデル名 搭載Windows
1991年11月 PC-9801CS5/W Windows 3.0
1991年11月 PC-98GS Windows 3.0
1991年5月 PC-H98/80-040WS Windows 3.0
1992年11月 PC-9821/S2 Windows 3.0A
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(著者:田中亘 wataru@yunto.co.jp)






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