Windowsの歴史を紐解く過去の記事 【1991年1月】
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田中亘 |
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■Windows 3.0の魅力
1990年に米国で発売されたWindows 3.0は、爆発的なヒット商品となった。発売された年だけで200万本を売りきり、その勢いは翌年になっても衰えることがない。そして、米国版のWindows 3.0は、1990年のフォーチュン誌でも、ハイテク関連新製品のベストテンに選ばれた。
Windows 3.0は、「誰にでも使いやすいパソコン環境」を実現する可能性を秘めた、90年代のGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)の切札ともいわれた。日本のパソコンを大きく進化させるGUIシステムといえるWindows 3.0。その魅力と実力とはなんだろうか。
★なぜWindows 3.0はこれほど騒がれるのか?
当時の日本のMS-DOSユーザーにとっては、なぜこれほどまでに米国がWindows 3.0フィーバーを起こしたのか理解に苦しんだのかも知れない。おそらく、パソコンをワープロや表計算ソフトのための専用機として使っていたユーザーは、Windows 3.0のもたらす恩恵を想像できないかったのだろう。
当時は「MS-DOSでもいいじゃないか」というのが、日本のパソコンユーザーの認識だった。しかし、MS-DOSの利用者が多い米国の方がWindows 3.0を積極的に購入した。その魅力は何か。
その一つの答えが、Windows 3.0によって、面倒なアルファベットによる呪文からの解放だ。Windows 3.0の起動画面を見た人ならば、これがあの愛想の無いPCの画面だったのかと目を疑うはずだ。おそらくPCの何処にこんなグラフィック表示能力があったのだろうか、と考え直すだろう。見飽きた退屈な画面を刷新する。これだけでも、Windows 3.0の効果は絶大だった。
★なぜMS-DOSじゃいけないのか
しかし当時はなお、Windows 3.0に疑問を投げかける人もいた。その多くは、MS-DOS上のアプリケーションソフトにしがみついている人達だった。保守的な人たちの多くは、自分の使っているPCと現在の環境で充分だと思い込んでいる。その理由は、アプリケーションソフトに今以上の機能を求めないからだ。また、アプリケーションソフトに不満のある場合は、個々のソフトに高機能と多機能を求めようとしていた。
しかし、これは間違った考え方だ。
仕事にも分担があるように、ソフトウェアにも向き不向きがある。また、同じ目的を達成するためには、一つのソフトの機能に頼るよりも、複数のソフトを使い分けた方が効果を得ることが多い。そんなソフトウェアの使い分けの妨げになっていた張本人が、MS-DOSだった。
MS-DOSは、シングルタスク・オペレーション。一度に一つのことしかできないOSだ。しかし、Windows 3.0は違った。Windows 3.0は、複数のアプリケーションを並行して実行するマルチタスク・オペレーションを実現した。マルチタスク・オペレーションを、既存のMS-DOSアプリケーションでも可能にした。
結果として、「一太郎を使いながら、LOTUS1-2-3のワークシートを参照する」という作業を可能にした。Windows 3.0は、アプリケーションソフトそのものの可能性を大きく広げたのだ。一つのソフトウェアに頼らなくても、複数のソフトウェアを同時に実行して、必要なアプリケーションで作成したデータを、最終的にワープロの文書画面にまとめることを可能にし、マルチタスク・オペレーションが、時間をも節約した。例えば、時間のかかる表計算ソフトの再計算をバックグラウンドで処理しながら、計算結果がわかるまで、ワープロでの文書作成を継続することができた。
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Explorerのルーツともいえるファイルマネージャ
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★Windows 3.0は一部のマニアや上級者だけのものだろうか
当時のPCユーザーが抱いた疑問の一つが、Windows 3.0のターゲットユーザーだった。新しいOSやシステムは、とかく馴染みが薄い。そのため、最初に飛びつくのは、いつもマニアや上級者に限られてしまう。その結果、どんなに良いものでも、一部のマニアの評価だけに頼って、良し悪しが判断されてしまう。
Windows 3.0も、日本ではその例に洩れなかった。
Windows 3.0は、結果として日本で大きな成功には至らなかった。だが、後のWindows 3.1そしてWindows 95の成功へとつながる大きな一歩となったことは事実だ。コマンド入力が当たり前だったPCの世界に、グラフィック画面とマウスによる視覚的な操作を提供し、MS-DOSのコマンドを知らないユーザーにPC利用の可能性を開いた。
また、アイコンのデザインをしたり、背景に表示する絵を変更したりと、オリジナリティの高いWindows 3.0の操作環境を作り出すことで、入口が広く、奥行きも深いPCの用途を示した。一部のマニアや上級者の欲求も満たした上で、初心者でも手軽に使いはじめるきっかけとなった。
★Windows 3.0によってアプリケーションも変わるのだろうか?
Windows 3.0の登場は、アプリケーションの変化や統合化を加速した。Windows 3.0が動作する環境であれば、個々のアプリケーションソフトが、特定のパソコンに依存することなく、当時の垣根となっていたPC-9800シリーズとDOS/V機を橋渡しできると考えられたのだ。
MS-DOSには、図形や画像データを取り扱うAPIが無かった。そのため、個々のアプリケーションが、グラフィック描画などの特殊な処理を行なうためには、各メーカーのPCに備わっている専用のグラフィック機能を利用するしかなかった。結果として、特定のPCのために作成したアプリケーションソフトは、他のPCでは動作しなくなっていた。
しかし、Windows 3.0はグラフィック処理や各種のAPIを備え、機能を利用する環境を統一した。Windows 3.0のマナーに従って作られたアプリケーションは、基本的にPC固有の機能に依存しない。その結果、他のWindows 3.0が動作するPCであれば、アプリケーション間の実行とデータの編集という、互換性が実現する。さらに、Windows 3.0で利用できるアプリケーションソフトならば、個々のソフトが作成するデータにも共通性が保たれる。例えば、EXCELのグラフを貼り込んだり、計算結果を文書画面にコピーすることが簡単になる。当時の米国では、Windows 3.0の機能を活かした魅力的なアプリケーションが、続々と登場していた。後のそのアプリケーションの多くは日本語化され、数多くが上陸した。Windows 3.0によって、高機能度な米国製のアプリケーションが、短期間のうちに日本語版として登場する可能性が高くなり、日本のアプリケーション環境に、多大な影響をもたらした。
一方で、Windows 3.0の普及には大きな課題も残っていた。その最大の課題は、Windows 3.0を利用するためのハードウェア環境だった。当時の主力CPUは、V30や8086という16bit。中には80286という上級のCPUを搭載している機種もあったが、80386を搭載したPC-9801RAは高価だった。当時の定価で約40万円を超えていた。加えて、ハードディスクも高価で、高解像度を実現するためのグラフィックカードやディスプレイまで揃えると、100万円は超えてしまった。
今振り返ると、懐かしくもあり信じられない世界でもある。もうすぐ64bit時代に突入しようとする現在のPC市場において、100万円も投資すればかなり高性能なIAサーバが手に入る。それでも、この時代から苦労してきた先達が、後の日本のWindows市場を育んできたことは確かだ。また、Windows 3.0が日本語化されたことによって、PC/AT互換機で利用する技術や知識も蓄積された。それがWindows 3.1に集約されたことによって、ユーザーと開発者の大きな市場が形成されていくのである。
(著者:田中亘 wataru@yunto.co.jp)
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