Windowsの歴史を紐解く過去の記事 【1997年6月】
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田中亘 |
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■Windows World Expo Tokyo '97
1997年6月25日から4日間にわたって、Windows World Expo Tokyoが、幕張メッセで開催された。この年のWindows World Expoは、Windows CEの発表あり、デジタルTVの宣伝あり、マイクロソフトやインテルのWebTV構想ありと、盛りだくさんな展示会となった。初日から5万を超える来場者を記録し、広い展示会場が熱心に包まれていた。会場では、マイクロソフトがインターネット・エクスプローラ 4.0の最新β版を紹介し、日本電気はその展示スペースの約七割を使って、Windows CEをお披露目した。また、ソニーが最新鋭のデジタルカメラを無料で貸し出して、撮影したデータを受けとるサービスも行なった。
Windows World Expoは1992年から開催され、1997年には6回目を数えた。1992年当時のWindowsはバージョン3.0A。実用的なアプリケーションはExcelしかなかった。プラットフォームになるパソコンも、CPUの主流はi386SXの20MHzで、i486DX/33MHzのマシンは、部品から組み立てたり、並行輸入をしなければ、なかなか買えない代物だった。それから5年の間にパソコンの性能は向上し、パワフルで使い勝手のよいソフトウェアが揃い、仕事から遊びまで、さまざまな目的に、Windowsとパソコンが役立つようになった。そして、1997年のWindows World Expoでも、インターネットに対応した製品の数が増え、新しいビジネスモデルやチャンスを期待する展示も多く見られた。
★1998年に向けた挑戦
1997年のパソコン業界は、次の5年間に向けた挑戦がはじまっていた。それは、テレビ受像機との戦いだった。パソコンが家庭に普及していくためには、インターネットとテレビという二つのメディアを飲み込んで、新しい情報端末として、進化しなければならなかった。そのために日本電気は「セレブ」という新製品を発表し、海の向こうの米国でも次世代パソコンとなるPC98仕様の策定がはじまっていた。PC98仕様では、USB(ユニバーサルシリアルバス)や、IEEE1394(ファイヤーワイヤー)などを使って、デジタルカメラやデジタルビデオからの映像取込みが、次世代パソコンとMemphis
(Windows 95の次期製品開発コード名)によって、標準的に使えるようになる。これは、家庭用映像機器と、情報機器の接点であり、新しいパソコンのあり方を示すものだった。それは同時に、ユーザーがどのようにパソコンを使いこなしていけばいいのかという方向性や可能性をも示すものだった。1998年の末頃には、誰でも手軽にデジタル画像や動画を編集して楽しめるようになり、近い将来には、パソコンの中が小さなデジタルスタジオとなって、個人の創造力や表現能力を加速するようになると考えられていた。
こうしたコンセプトの背景には、MMXを搭載したPentiumによってマルチメディアを加速しようと考えていたインテルの計画や、新しい市場を求めていたマイクロソフトの挑戦もあった。2002年になった現在では、当たり前になっている周辺機器やユーティリティの数々も、1997年当時からの挑戦が身を結んだものなのだ。
(著者:田中亘 wataru@yunto.co.jp)
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