田中 亘のWindow’s1999

田中 亘


遊んでる?


 パソコンは売れているのにリテール製品が動かない。こうした問題に、頭を抱えている業界関係者が増えているらしい。その背景には、現在のパソコン需要が、インターネットと電子メールを中心とした個人消費にあるためで、パソコン本来の創造性とかDo It Yourself的な意識で使う人の比率が減少していることが考えられる。しかし、振り返ってみると、製品を開発し提供する側も、一般消費者と同じように、パソコンを使うモチベーションが下がっているのではないだろうか。そんなことを思ったのは、先ごろ話題になった日産自動車を取り巻くニュース報道を見ていたときだった。その中でも特に印象的だったのは、フランスからやってきた新社長が、日産の自動車をすべて試乗したという事実だ。自社製品だけではなく、競合他社の製品もほとんど試乗したというから、どれだけ自動車に対する情熱があるのかが、そのエピソードからも伺い知れる。ところが、その自動車を作る会社の経営者たちが、自分で運転することもなく、車に対する愛情や情熱を持っていなかったという話には、かなり驚かされた。もちろん、個々の社員の中には、車作りに情熱を注ぐ人たちも多くいるのだと思うが、肝心の舵を取る人たちの意識が弱ければ、結果的に魅力的な製品は生み出されてこない。

 こうした一連の報道を対岸の火事と見るか、自らにも当てはまる部分はないかを考えるかで、組織の舵取りをする人たちの意識も問われるのではないだろうか。どうして、車を好きではない人たちが、車を作って販売する会社を経営してきたのか。それは、体制がうまく機能し過ぎてきたことの弊害、有体な言葉で例えるならば、まさに大企業病そのものではないだろうか。

 そして、パソコンを取り巻く業界にも、そうした意識が芽生えてきているのではないだろうか。パソコンに退屈している。新しいソフトウェアに刺激が得られない。日々の仕事に追われて、新しいことを考える気力がない。

 本来、パソコンを取り巻く業界は、いつもドタバタしていた。何もかもが中途半端で未完成品の山のようでもあり、それを商品として売るために、みんなで苦労と工夫を繰り返してきたのではないだろうか。そして、素晴らしいことに、そうした混乱と喧騒を楽しみながら、まるで遊んでいるかのように仕事を続けてきた人たちが、ほんとうに沢山いた。

 しかし、そうした人たちも、いまでは偉くなってしまったり、最前線から退いてしまったり、遊び心を失ってしまったのではないだろうか。パソコンが社会的に認められて、それが売れることが当たり前になってしまったがために、もしかすると、業界全体が遊び心と情熱を失いかけているのかもしれない。

 もちろん、中には本人の望むと望まざるとに関わらず、日々の仕事をこなさなければならず、「昔のようにはできない」という諦めの中に囲い込まれてしまっていることもある。また、社会的な責任や立場が重くなれば、若いころのような無茶はできなくなる。加えて、ソフトウェアそのものを作る仕組みも、一昔前に比べて複雑になり、発想だけでは作れなくなってきている。開発工程を含めた緻密な管理や計画が求められ、優秀なプログラマが数人いるだけでは、製品そのものが完成しないこともある。反対に、技能面での有能さよりも、工程管理やコードを中心とした品質管理に優れた人材を抱えるソフトハウスが、確実に製品を開発し続けられる時代になりつつある。

 もちろん、事業としてのソフトハウスの存続を考えるのであれば、何よりも製品を作ることが最優先される。しかし、管理の行き届いた仕組みの中で生み出される製品には、消費者を惹きつける魅力が乏しいものが多い。さらに、パソコンのアプリケーションという分野において考えるならば、消費者に新しい需要を喚起できるだけの発想も生まれない。パソコンで遊ぶことができなければ、パソコンを消費している人たちに、新しい消費を提案できないからだ。

 もしかしたら、いまの消費者のニーズを突き詰めていけば、セットアップなどの手間がかかる製品は、受け入れられず、CDやビデオのような感覚で楽しめるものでなければ、市場には受け入れられないのかもしれない。結果や成果のような具体的なものが得られるようなアプリケーションではなく、環境ビデオのような娯楽性の強いものや、インターネットのリンク集に簡易エージェント機能を組み合わせたツールなど、「ちょっと楽しい、あれば便利」といった手軽で身近な視点の製品を、安く手軽に買えることが、望まれているのかもしれない。

 いまや、企業を対象にしたアプリケーションであれば、イントラネットを大前提に考えなければならないように、個人を対象にしたアプリケーションにも、電話回線を使ったインターネットとの共生や加速を考えなければ、市場はないのではないだろうか。それ以外の分野、いわば過去のキラーアプリに関しては、そのほとんどがパソコンに標準添付され過ぎてしまった。

 だが、こうした事態も、今年の暮れから変わる可能性もある。その起爆剤が、10万円以下パソコンの普及だ。アプリケーションを自分で買ってきてセットアップすれば、パソコンをより安く買えるという事実が消費者に広がれば、リテール製品の活性化が期待できる。

 とはいえ、そうした活性化ができるかどうかは、ひとえに情報発信にかかっている。店頭をはじめとして、パソコン関連の情報誌などで、どれだけ一般に意識が普及するかどうかが、重要な課題となる。現在のインターネット&電子メールによるパソコン需要は、いわば米国からやってきた「特需」なのかもしれない。これを本当の「内需」にするためには、もっと業界全体で知恵を出し合い、遊び合って、パソコンを楽しい道具にしていく姿勢も必要なのではないだろうか。

(ユント株式会社 代表取締役)


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