田中 亘 1998年の初冬は、Internet Explorer 4.0をプリインストールしたパソコンが市場に出始めることで、幕を開けたと思う。マイクロソフトを取り巻く裁判が話題になり、Windows 98はいつなのか、果たして出荷はできるのか、といった話題が、テレビや新聞のニュースでも取り上げられるようになり、パソコン業界を取り巻く漠然とした不況感も手伝って、業界全体が新バージョンの登場に、熱い期待を寄せた。 そして春。Windows 98プレビュープログラムが登場し、マイクロソフトはその申し込み予定数を完売した。世間のWindows 98に対する期待度の高さが、プレビュープログラム人気でも証明され、いよいよ出荷日はいつか、という話題も熱気を帯びてくるようになった。一部の新聞は、憶測で「7月24日に出荷」という記事を書き、フライングをしたこともあった。3月には、米国フロリダ州オーランドで、毎年恒例のWinHEC '98が開催され、集まった日本からの報道関係者をガッカリさせた。1997年のWinHEC '97に比べて、ハードウェア関連の新しい話題に乏しかったことが、失望の原因だった。だが、見方を変えれば、低価格PCが急速に家庭に浸透してしまった米国で、それらの市場をどのようにリードしていくか、そのための戦略的な転換を余儀なくされている様子が、ありありとわかって興味深かった。市場優先主義の米国らしい対応の仕方だと感心したりもした。 ●1998.6.17 おそらく、多くの業界関係者も招待された"Microsoft Windows98 The Announcement"が開催されたのは、この日。有楽町の東京国際フォーラムのステージに、あのゲイツ会長が現れて、Windows 98を7月25日に出荷する、と正式にアナウンスした。 ゲイツ会長が来ると、テレビ局や新聞社などの大手マスメディアも殺到し、マイナーなメディア&ライターは、遠くの方からワイドショーまがいのフラッシュの嵐を傍観するしかない。しかし、このマスメディアの注目度が、どれだけの宣伝効果があるかを考えると、多くの企業経営者たちは、羨望する思いだろう。 もちろん、この日の模様は夕方からのニュース番組でも取り上げられ、日本電気の金子社長が「ウィンドウズきゅうはち」と連呼していたせいで、アナウンサーも商品名を読み間違えていた。 ●1998.6.25 日本よりも一ヶ月早く、米国ではWindows 98が出荷になった。米国でのラウンチイベントは、サンフランシスコの海に面したFort Mason Center倉庫で行われ、報道関係者とイベントのビデオに登場した学生やお年よりなどが招待された。イベント会場は、ROUTE98というコンセプトに合わせて、ハイウェイのようなステージや看板を掲げ、ステージの照明も外灯になっている、という凝りようだった。 もっとも、1995年のWindows 95のイベントに比べれば、規模も小さく、盛り上がりも感じられなかった。しかし、Windows 98そのものは、米国でも好調な出荷となり、OSとしてはマイナーバージョンアップでありながら、マーケティング的には大きな成功をおさめた。 ●1998.7.15 Windows 98のラウンチイベントから、わずか三週間後に、シアトルでOffice 2000のWorkShopが開催された。これは、インターナショナルの報道関係者を集めたセミナーで、参加当初はNDAだったため、いままで記事に書けなかった。Office 2000は、Windows 2000の前哨戦として、1999年の話題を盛り上げていくだろう。もっとも、今度のOffice 2000の進化は、米国でのビジネススタイルの進化と同期したものだけに、その流儀を日本でどのように浸透させていくのか、マイクロソフトのお手並みをじっくりと拝見させてもらいたい一品でもある。 ●1998.7.25 そして、日本でのWindows 98出荷となる。この日のお祭り騒ぎは、秋葉原に集まった業界関係者ならば、誰もが記憶に新しいだろう。三年ぶりとなった深夜のくすだま割りや、万世橋警察署員による交通整理に、お店の前の行列などなど、暗い話題を吹き飛ばすような、明るい明るい夜だった。 米国での出荷から一年以上も日本語化にかかったWindows 3.0/3.1の頃から比べれば、わずか一ヶ月の時差というのは、格段の進歩だといえるだろう。 こうして、1998年を振り返ると、自分にとってはInternet Explorer 4.0にはじまり、Windows 98で終わった一年だった。これは、自分が関わった書籍を通して記憶に残るものだが、とにかく、何度となくこの二つのシステムをパソコンにインストールし直したものだ。そして、自分の書いた本、という結果を書くならば、前者は失敗で後者は大成功だった。 もっとも、それはあくまで「本」という媒体を通した目であり、普及度という面では、どちらも相当数を市場に浸透させた。特に、Internet Explorer 4.0は、Windows NTのOption PackやOutlook 98など、マイクロソフトの製品を何か一つでも新しくすると、必ずWindowsに入れなければならなくなり、必然的に家にあるパソコンにインストールされてきた。 一方、Windowsを使うためのパソコンに関しては、思いつく限りの機種を使ってきた。1998年の初冬は、ThinkPad560Xを手に入れて間もない頃で、かなりのお気に入りだったが、そのうち軽薄短小路線に迎合し、PCG-505GXやDynaBook SS 3010なども使うようになった。ノートパソコンはよく買ったが、デスクトップ機はiMacと自作もの以外は、一台も買わなかった一年でもあった。 こうして思い返してみると、つくづく世間のミーハー度と同期した一年だったのだと思う。
インプレスBOOKS「できるシリーズ」の著者としてお馴染の方です。 「できるシリーズ」では、『映像制作の仕事を通して、パソコンを使うようになる。以後、パソコンの導入相談や、ソフトウエアの企画・開発などの業種を経て、1988年に独立。パソコン関連の解説記事や書籍の執筆を中心に、フリーのライターとして活躍。 メールアドレス watarut@dengon.co.jp、ホームページ http://www.yunto.co.jp/』と紹介されています。 Windowsコンソーシアム松倉会長とは以前からのお付き合いがあり、去る11月13日のWindowsコンソーシアム第10期総会時の懇親会でご紹介いただき、Windows Viewへご寄稿いただけることになりました。また、1月号からは、「Window’s1999」のタイトルで連載いただけることになりましたので、ご期待ください。 (事務局) |