最新Windowsソフトウェア事情(第45回)

Windowsコンソーシアム顧問 高橋 三雄
mtaka@fsinet.or.jp


夢をクラシックカーに乗せて

 9月下旬、シドニーからTypeQuick社のマッキントッシュ社長が来日した。本欄の第38回ですでに話題にしたように、彼は趣味が多彩であり、テニス(自宅にコートとプールがある)、ワイン(1,000本以上のワインを所蔵している)、そしてもう一つがクラシックカーである。今回の来日の目的はソフト販売のキャンペーンではなく、彼の長年の夢であった「1933年型ロールスロイス」を駆っての日本縦断の旅に挑戦することであった。この不況の日本で、なんでそんな「あほなことを!」と思われるだろう。たしかに私もそう思う。しかし、事務局の小泉さんともども、図1のように、9月25日に東京タワー前で出発式に参列し(!)、小泉さんをおいて私だけそのままロールスロイスに同乗して那須高原まで走ったときは、これは意外と面白いと実感したのであった。

図1

 日本縦断の旅は一応は順調に続いた。もちろん、60年以上も前の車のこと、エンジントラブルなどさまざまなトラブルが起こった。しかしその都度、マッキントッシュさんの不撓不屈のチャレンジ精神によって問題はすべて解決されてきた。なにしろ、シドニーの自宅には2台のクラシックカーがあり、それぞれ部品などが市販されているはずはなく、みずから自宅に設置したメカニック工場(ちょっとした旋盤もあり、部品などの切削もできる)で何でもこなしてきたのであるから。まして、現代の車のようにマイコンだらけのメカではなく、エンジンがかからない場合はクランク(懐かしい名前)を回してマニュアルスタートができるし、ワイパーもまた手回しである。長雨が続いた9月下旬のこと、出発当日も那須高原へ向かう途中もしばしば雨が降り出した。その都度、助手席の吉田さんの腕力に頼らざるを得なかった。彼はTypeQuick日本語版を発売している日本データパシフィック社の社長をしており、今回、社業を投げ打って3週間をこえる日本縦断のすべての日程に同乗したのであった。旅が終点を迎えていない現在、彼の会社がどうなったか、その結末についての報告は聞いていないが、依然として会社が存在しつづけていて欲しいと強く神仏に乞い願うものである。そういえば、吉田さんは京都のお寺さんの生まれであり、私などがお祈りしなくとも、すでに仏の御心のままとなっているのだろう。
 マッキントッシュさん(日本のパソコンユーザーをささえるWindowsコンソーシアムのメンバーであるわれわれにとってはどうも座りのよくない名前である。これからはファーストネームのノエルさんとよぼう)、あらためてノエルさんは、旅の前半およそ10日間は、シドニーで高校の体育と音楽の先生をしている娘のウエンディさんを連れてきた。後半は奥さんのドナさんと交代することにしていた。10月7日には無事、京都で交代もすませ、11日現在は九州へと向かっているはずである。今回の旅行のスケジュールはその他の情報とともに、特設のホームページに掲載されている。図2は旅のスケジュールである。上段にはスケジュールをはじめ、ツアー日記や速報ページそしてプレゼントなどのタブが用意されており、旅の途上から刻々と情報がアップされている。なお、URLはhttp://www.office-m2.co.jp/dphp99/tqtour/right1.htmである。

図2

 東京タワー前からスタートした旅は、日々の予定に追われてそれ以上の旅に同乗できない私を那須高原近くの新幹線停車場(急にクラシックな表現になってしまったが)に降ろし、北上を続けた。図の地図にあるように、仙台、八戸と東北の太平洋側を北上し、やがて北海道に達した。もちろん、クラシックカーとはいえ、東北高速道路などのハイウエイを走る旅である。80kmの最高速度を維持する車の脇(追い越し車線)をたえず最新型の日本車が走りぬける。その都度、横目でロールスロイスを驚きの目でみやっていたが、彼らのまなざしには、高価な日本車を自慢する姿はまったくといってよいほど感じられなかった。現実のものにはならなかったが、もしチャールズ・バベッジのコンピュータが存在したとして、それを駆使する私を見やって、最高速のペンティアムマシンを走らせるみなさんは「どうだ俺のパソコンはペンティアム400だぞ!」と自慢されるだろうか。きっと私をうらやましく思われるのではないだろうか。

図3

 本州は雨が続いた9月下旬も北海道は晴れの日が多かった。旅の写真はホームページのあちこちに載せられている。図3は大沼湖畔に憩う一行の姿である。一度もいったことがない大沼、ノエルさん親娘が楽しんでどうして日本人の私がまだなの?とうらやましく思われてならない。よしそれなら来年は私もロールスロイス社製の車を駆って北海道一周といこうかと決心した次第だ。私の愛車はフォルクスワーゲンVentoであり、同社はロールスロイス社を買収したはずである。

 旅はいよいよ佳境に入った。東北日本海側を南下して、10月4日にはわが小淵沢の山荘へと無事到着したのである。その前日には日本におけるクラシックカーの一大拠点ともなっている河口湖のクラシックカー博物館に立ち寄って、ノエルさんのクラシックカー仲間の長年の友人と「古車」談義に花を咲かせた。また、河口湖畔において富士山をバックに愛車の写真を撮りたいと、朝5時に起床して3時間、湖上の霧が晴れるのを待ち望んだが無情にも霧は晴れることはなかった。しかし、河口湖までの長旅(そのほとんどはノエルさん自身が運転してきた。なにしろ、ギアつき、手動作のハンドル、ブレーキはキーキーいうし、吉田社長に運転をまかせるわけにはいかない)のあとでも、こうして朝早く起きて、3時間もじっと霧が晴れるのを待つことができる彼の忍耐力とエネルギーそして好奇心、これは並大抵のものではない。日本人は辛抱強いといわれてきたが、最近は若い人の辛抱のなさが目立ってきた。ぜひ、ノエルさんをみならって欲しいものだ。

図4

 10月4日、前日から小泉さんと山荘にて待機していたわれわれの前にいよいよロールスロイスの勇姿があらわれた。図4を見て欲しい。バックに見える「素敵な」家は本欄でも何度か自慢げに、どちらかといえば無理に紹介させていただいた我が仕事場である。この原稿もいまこの瞬間、快晴の秋空のもと、はるかに初雪をかぶった富士山を遠望しながらウッドデッキの上で書いている。また、過日8月X日にはようやくコンソーシアム事務局ミーティング開催の栄誉もいただき、会の重要課題を検討する格好の場として評価いただいた。今後とも、会長以下頻繁にご利用いただき、ときには八ヶ岳、南アルプス登山の拠点となることになった。みなさんにも、清里や蓼科などにこられたさいにはぜひ立ち寄っていただきたい。

 話を戻そう。ノエルさんのロールスロイスは30数年前のイギリスで、当時の日本円にしておよそ10万円で購入したものである。自分でいろいろ手を加えて現在でも十分に走れるようにした。彼はクラシックカーを2台所有しており、2年前にはもう一台の車(1913年型ボクスホール)を使ってイギリスからヨーロッパ、ロシア大陸を経てナホトカから新潟にわたり、関越高速を通って横浜に出てシドニーに帰るという冒険旅行を敢行した。さらにオーストラリア大陸横断、米国カナダ縦断などクラシックカーのアドベンチャーにも挑戦してきたのである。日本のソフト会社もノエルさんにならってもっともっと元気を出してほしいものである。このノエルさんの冒険旅行についてはホームページの「ツアーの概要」に詳しい。図5の上段の写真はオーストラリア大陸横断、そして下段の写真はロシア大陸横断中のノエルさんを示している。

図5

 ノエルさんの今回の目的はクラシックカーの旅を楽しむだけではない。小淵沢では町のCATVの取材を受けた。私がつたない英語で通訳の真似事をしたが、旅の目的を聞かれたときの彼の答えは、「若い人々に古いもののよさを認識してほしい。また、古いものと現代的なハイテクの組み合わせがどのような新しい価値を生み出すかを理解してほしい」ということであった。

図6

 図6を見てほしい。これは私の自宅前のロールスロイスであるが、車のサイドステップにはさまざまなハイテク機器がならべられている。それらをリストアップすると、ノートブックパソコン、CD-R、デジタルカメラ、デジタルビデオカメラ、小型ビデオレコーダ、パソコンと接続するプロジェクタなどであり、なんとGPSカードも含まれているのである。これらのハイテク製品の多くは私が所有しているもので、今回の旅にあたって彼に自由に使ってもらうように貸し出したものである。ノートブックパソコンはもちろん、さまざまな目的に使われるメインのマシンである。
 ところで、「DOCOMO」の携帯電話を接続するPCカードが用意してあり、旅日記なども刻々とホームページに送り込んでいる。もちろん、吉田社長がハイウエイを走行中の車中から気になる会社の最新状況を把握し、適切な指示を与えるための必須の道具となっていることはいうまでもない。つづいてもう一枚、娘のウエンディさんの写真を紹介しておこう。図7がそれである。彼女のひざにはダイナブックがのせられ、その隣で私が手にもっているのがGPSアンテナである。このアンテナはノートブックのPCカードと接続されており、パソコンにはインストールされたソニーのナビゲーションソフト(Nav'ing You)と地図CD-ROMによって高度なカーナビ機能を発揮するのである。

図7

 カーナビはいまや日常的となった。我が家における事務局ミーティングのあと、南アルプス天然水で有名な白州町の尾白川へ散歩にでかけたが、原さんのRV車には最新のカーナビが搭載されていた。ダイナブック上のカーナビもまた画面上に刻々と現在位置を表示するとともに、音声によるガイドも本格的に行ってくれるのである。1933年型ロールスロイスともなると、専用のカーナビを組み付けるのはむずかしい(また車の純粋さを保つにはそんなことは許されない)。しかし、ノエルさんにとって日本の旅の経験は乏しい。まして、今回の日本縦断の旅にあたって彼は大都市はさけてできるだけ地方の町を旅してみたいという強い希望をもっていた。ハイウエイから降りたあと、日本人の吉田さんですら走ったことがない「いなか道」で迷う事態も大いに予想される。そうした事態をさけるためにはカーナビは必需品といってよい。

 さいわい、私自身、以前からGPS(PCカード)と地図ソフトに興味があった。いくつかの製品をためしていた私の手元にはGPSアンテナも、PCカードもあった。そして最新のナビゲーションソフトを購入したのである(ソニーのNav'ing You)。このソフトを組み込み、地図上に出発地点、目的地、経由地を入力すると音声入りのガイドをしてくれる。もちろん、走行中の経路は刻々、全国地図の上にズーム機能を含めて分かりやすく表示される。

 ロールスロイスに装備したカーナビもノートブックパソコンを起動しておかないと役立たないことはいうまでもない。数時間のバッテリー寿命ではデモ的な利用に終わってしまう。そうしたときに、シガーライターからDC電源を取り、AC電源に変換するアダプターが便利となる。今回もその種のアダプターを用意した。ただし、1933年型のクラシックカーともなると現在のようなシガーライターはついていない。これもまた、特製のアダプターをノエルさんが自作した。
 車には当然のことながらデジタルカメラやデジタルビデオが搭載された。旅の途中で撮影したビデオ動画はノートブックパソコンに取込みたい。それというのも、私が貸したデジタルビデオカメラは当然、NTSC方式であり、オーストラリアのPAL方式のTVでは楽しめない。東銀座でソニーショップを開いている私の知人に頼んでNTSCからPALへ変換してもらう予定であるが、それでもある程度の時間がかかる。シドニーへ帰ってすぐにでも旅の様子をみてもらうには、ビデオ動画をパソコンにキャプチャーしてしまうのが簡単である。そこでノートブックパソコンでも接続して利用できるビデオキャプチャー装置を用意した。最新のSphinxとよばれる製品でシリコンバレーのベンチャー企業「FutureTel社」の製品である。同社は日本人(かつて大阪大学の助手もされていたことがある)の秦正人さんが始めた会社であり、ひょんな関係から私もメールでやりとりしている。このSphinxは評判がよく、米国でパソコン雑誌の賞も得ているほどだ。

図8

 図8はこのビデオキャプチャソフトおよび那須方面に走行中の車中で吉田社長が手動ワイパーを操作中の一画面である。図の右側には私がすでにキャプチャーしたさまざまなビデオクリップがリストされており、それらの中にノエルさんの旅日記ビデオが加わることになる。1GBで1時間以上のビデオクリップが保存できる。ファイル形式はMPEG1である。なお、ファイルは大きくなるので、ノートブックパソコン用のCD-Rを新たに購入した。PCカード、CD-Rそしてソフトがセットになっており、ノートブックパソコンでもすぐに利用できる。

 ところで、マッキントッシュ社長のもう一つの希望は地方の町に立ち寄り、若い人々と出会いたいということであった。そこで旅の途中で10数箇所の中学、高校あるいは専門学校に立ち寄り、講演をすることになった。若い人にチャレンジ精神を説き、また、「古いもののよさ」を知って欲しい、それが講演のねらいである。ノートブックパソコンにはもちろん、PowerPointのプレゼンテーションファイルが入っている。また、さきほどの写真でも分かるように、車にはコンソーシアムで利用しているのと同じ「ASK A4」プロジェクタが同乗している。プロジェクタに接続すれば瞬時に100インチの大画面が聴衆の前に表示される。

 小淵沢で一泊した翌日、ノエルさんは事務局の小泉さんともども岐阜県の麗澤瑞浪高校に向かって出発した。せっかくの機会なので小泉さんにはロールスロイスの旅を取材してもらい、本欄に使う写真などを撮ってもらおうと頼んだのである。翌日、高校の校長先生から「じつに楽しく有益な講演であった。生徒も感激した」というお礼のメールをいただいた。また麗澤瑞浪高校のホームページにはさっそく、マッキントッシュさんと過ごしたひとときが図9のように写真入りで掲載されていた。

図9

 さて、小淵沢から数日たった10月9日、ノエルさんと和歌山で再会した。娘さんはシドニーに帰り、今度は奥さんのドナさんが一緒である。和歌山博覧会の会場に開設された「ドームシアター」で私とノエルさんが講演するためである。ドーム型のスクリーンにプロジェクタを投影して行う講演ははじめての経験であり、パソコンの設置場所が階段状になった観客席の後方にあるので、階段を走って前方の講演席と行き来するという肉体労働を強いられる講演であったが、100数十名の聴講者が熱心に聞いていただいて楽しいひとときを過ごすことができた。この国際シンポジウムを開催してくれた和歌山情報産業協会の会員である会社社長さんのみなさんとから、ふんだんな海の幸をごちそうになり、その面でもノエルさんとの楽しい再会であった。
 和歌山でわかれたノエルさん夫妻は山陰、九州そして四国と回り10月15日、神戸港から愛車をシドニーに見送り、16日には関西国際空港から帰国される予定である。彼らのホームページはしばらくは残されると思うのでぜひ、彼らの冒険の旅をバーチャルにたどって欲しい。

(麗澤大学 国際経済学部 教授 http://www.fsinet.or.jp/~kaikoma/)


1933年型ロールスロイス


ノエルさんと筆者


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