最新Windowsソフトウェア事情(第40回)


Windowsコンソーシアム顧問 高橋 三雄
mtaka@fsinet.or.jp




収穫がなかったComdex/Spring

 今年もまたComdexの季節がやってきた。4月上旬に幕張で開催された第二回Comdex/Japanでは私もセミナー企画の中でデータウェアハウス関連セッションのモデレータ(司会役)として参加した。この数年、企業マネジメントの情報活用を支援する重要な技術としてデータウェアハウスが注目を集めており、セッションの参加者の入りも期待以上であった。このデータウェアハウスについては2年前から東京でデータウェアハウスExpoが開催されており(リードエクスポ社主催)、今年もまた7月上旬に有明のビッグサイトを会場として開催される予定である。私はこのExpoのセミナー企画委員長として、関連各社から参加してもらっている企画委員のみなさんと準備を進めてきた。
 データウェアハウスの基本的なねらいである「情報技術と企業マネジメント」に関してははるか昔の昭和40年代から、大企業を中心にMIS(経営情報システム)の用語のもとに研究や実践が進められてきた。しかし、その成果は十分とはいえなかった。その後もSISやEISなどさまざまな用語が登場し、その都度、いわゆる情報系システム(マネジメントの意思決定を支援する情報技術)の役割が強調されてきたが、部課長やトップ経営者にとって情報技術は依然として縁遠い存在であったといえよう。しかし、最近の電子メールの普及そしてそれにともなってマネジメントを含めて一人一台のコンピュータ環境が急速に整備されようとしている現在、データウエアハウスを新たな用語として長年の課題が実際的な効果をあげようとしている。
 今年のComdex/Japanではスケジュールの関係で展示フロアーを散策する時間がなかった。しかし、展示を見て回った友人の話では客の入りはもう一つであり、とくに海外企業の出展ブースはかわいそうなぐらい、客が入っていなかったということである。米国におけるComdexのネームバリューも日本にくるとその他多くのパソコン展示会の一つとなってしまっているようであり、もっと特徴を出さないと今後さらに苦しくなっていくのではないかと懸念される。
 ところで、4月下旬には20日から23日まで米国シカゴ市でComdex/Springが開催された。私にとってComdexは80年代半ばから重要な情報収集の場となっており、ラスベガスで開催されるComdex/Fallは毎年、そしてComdex/Springもできるだけ視察するようにしてきた。そこで、年中行事の一つとして、昨年のアトランタに引き続いて、今年もまたシカゴへでかけた(これまでシカゴとアトランタで交互に開催されてきたが、今後10年間はシカゴで開催されることになった)。しかし、Comdex/Japan同様、私にとって今年のComdexは例年になく収穫の少ない期待はずれに終わってしまった。米国に出かける直前には本欄でComdex報告を行うつもりでいたが、残念ながら会場風景の写真を紹介する程度に終わらざるを得ない。そのために、わざわざ直前にメガピクセルのデジタルカメラ(フジフィルム社のファインピックス700)を購入していったのに。
 Comdexでかかせないのはビルゲーツ会長の基調講演であろう。Comdex/SpringはComdexとWindows Worldの共催の形をとっており、Windows Worldの初日の基調講演としてビルゲーツ会長が登場した(図1)。

図1

 The Future of Windowsと題する講演は発売が間近にせまったWindows 98、そして開発が進められつつあるWindows NT5.0などが開くWindowsの将来についての講演であったが、昨年のComdex/Fallで使った同じビデオを見せたり、デモ途中でマシンがハングアップしたり、迫力はもう一つであった。むしろ、2日目以降のインテルのOtellini氏やシスコ社のCharney氏のプレゼンテーションの方が「一般のパソコンユーザーにとって、さらなる高速のCPUがなぜ必要なのか」、「ネットワークが人間の協調作業を支援することの意味」を具体的な事例(デモ)にもとづいて考えることができ、有益であった。
 今回は「The Future」と題するプレゼンテーションコーナーが設けられ、そこには家庭や車そして教育などにおいて情報技術がどのようにわれわれの生活を変えていくか、近い将来の姿をみせてくれた。たとえば図2は車に搭載されたWindows CEパソコンによって移動するオフィスとしての車をデモしているところである。

図2

 Windows CEは従来のキーボードを備えた小型パソコンの形だけでなく、米国で定番となりつつある電子手帳(3com社のPilot)に似せた機種も展示されており(たとえばカシオ社)、これからかなりの普及を示していくのではないかと思わせた。日本でもNECのWindows CE版モバイルギアが好調とのことであり、いずれ使ってみたいと思う。
 一般ユーザーにとって、周辺機器接続の悩みを解消する新たな規格として期待されているUSBも機種が増えてきた。キーボードやディスプレイだけでなく、ビデオカメラ、スキャナー、通信装置などが見られるようになっており、今回も図3のようにUSB製品を集めたコーナーも設けられた。

図3

 たとえば図4はUSB対応のビデオカメラである。Thin Clientとして注目されるNC(ネットワークコンピュータ)もかなりの数、見られた(図5はUniden社の製品)。

図4                          図5

 また、キーボードやディスプレイに本体が組み込まれた究極の省スペースタイプのパソコンもあった(図6はディスプレイにパソコン本体が組み込まれている。日本ではやりの一体型パソコンと比べると、写真のようにディスプレイの裏側にパソコンが入っているといった表現があてはまる)。

図6

 今回のComdexはこんな程度の写真しか紹介できないのは残念である。パソコン雑誌などにはすでに専門記者によるComdexレポートが掲載されているので、私自身、あらためてそれらを参照しようと思う(情けないがやむを得ない)。また、パッケージソフトの面でもこれはと思われる収穫はなかった。そこで今回は急遽、私の好きな地図関係のソフトを取り上げることにしよう。

● スペースシャトル着陸をこの目で

 84年から86年にかけて当時勤めていた成蹊大学からの派遣でロサンゼルスの南カリフォルニア大学に滞在していた。オフィスを借りて自由な研究生活を送ることができる恵まれた条件だったので最大限、カリフォルニアの生活を満喫した。いま思い出しても何度でも送りたい夢のような生活であった。この2年間は現在の多様なパソコン活用へいたる最初のきっかけであったマッキントッシュとIBM-PCが米国の企業や大学において急速に普及を始める時期でもあった。私もこの時期にはじめてマッキントッシュとIBM-PC互換機(Compaq Portable)を購入し、毎週のように近所のマイコンショップに立ち寄っては、次々にあらわれるさまざまなソフトの世界に新鮮な興奮を感じていたものである。この滞在期間中、日本の雑誌(日刊工業新聞社のパソコン雑誌「プロンプト」)や新聞(ビジネスコンピュータニュース)に定期的に原稿を寄稿し、その素材としてパソコンソフトを紹介した。1-2-3, dBASE、WordPerfect, SideKickなど、こんな素晴らしいソフトがあるのかと、興奮をまじえて日本のユーザーに紹介したソフトの本数は100本を超える(連載は50数回を数えた)。この連載はその後、「米国パソコンソフト事情」という表題で書籍の形でまとめた。
 今でこそ、日本は各社がパソコンを製造しているが、80年当初は日本電気、シャープなどの数社がパソコンビジネスに関わっているだけであった。私は日本マイコンクラブ(現在の日本パーソナルコンピュータ利用技術協会)のメンバーであったが、クラブが引き受けて日本メーカーのパソコンを米国に紹介するための展示要員として、毎年のようにサンフランシスコで開催されたWCCF(West Coast Computer Fair)に出かけた。WCCFはAppleIがはじめて公開されたことでも知られる由緒あるマイコン展示会であった。この3、4年にわたって毎年米国にでかけることができたことは米国を身近に感じさせることにもなった(68年から69年にかけてペンシルバニア大学に留学したことがあったが)。その延長上に南カリフォルニア大学における在外研究があったので、すぐに米国の生活にとけこむことができた。
 私は留学中の68年の冬休みにフロリダを旅行する機会があり、そのおりにケーブカナベラルに立ち寄ったことがある。当時、60年代末までに月に人類を送り込む歴史的なプロジェクトが進行中であり、その熱気が強く感じられた。いまあらためてその当時の状況を知りたいと思うと、たとえば最近話題の電子百科事典を参照すればよい。私のパソコンのCD-ROMドライブには常時、「マイペディア98(日立デジタル平凡社)」が入れてあり、本欄を執筆中でもすぐに図7のように、百科事典を起動して年表をリストし、69年の月面着陸を選択して、「アポロ計画」の項を参照し、そこに含まれているアポロ8号打ち上げ風景のビデオクリップを楽しむことができる。

図7

 アポロ8号以来、ロケットや宇宙物に興味をもち、その後も何度かケープカナベラルを訪れたり、ヒューストンのジョンソン宇宙センターに立ち寄ったりしてきた。そして95年ロスに滞在していたときに、とうとうスペースシャトルの着陸風景を直接、この目で見るチャンスを得ることができた。ロス郊外(といっても300kmほど離れた)の空軍基地内にあるドライレーク(干上がった湖)に早朝降りてくるという新聞記事を見てさっそく出かけたのである。フリーウエイから空軍基地へと通ずる一車線の道ははるかかなたまで車の列であり、報道によればその数は1万台に近かったということである。平日にこれだけの人が集まることは(もちろん、多くは仕事を休んできた)、米国人の物好きの度合いをあらわしているといってよいだろう。ホットドック屋などにわか屋台がつらなるドライレークのほとりで待ち構えていると、はるかかなたで「ボン!」という大気圏再突入の際の衝撃音が聞こえ、やがて上空にゴマつぶのようにシャトルが見えてきた。そして数分もたたないうちに、数万人が見守る中をはるかかなた数キロ先の予定地点に着陸した。もちろん、依然としてゴマつぶのままである。双眼鏡でようやくシャトルの詳細な姿を見ることができたが、それだけのことでも当日集まった大多数は十分に満足したのであった。
 パソコンソフトにもスペースシャトルなど宇宙開発を素材にしたマルチメディアコンテンツがある。たとえば図8は「SPACEAGE(エーアイソフト社)」の画面例である。

図8

 これはマルチメディアエンサイクロペディアという位置づけで宇宙開発に関わる豊富な情報が文字、音声、写真、ビデオ動画をまじえて収録されている。図では右側のメニューから宇宙センタースライドを選択し、ケネディ宇宙センターについての情報を参照しているところである。

● 日常的になった衛星からの画像

 21世紀に入るといよいよ宇宙の観光旅行も夢ではなくなる。先日の報道によればやがて一般人も乗せるようになるかもしれないスペースシャトルの搭乗券が1億数千万円とはじかれたようである。また、数分間宇宙へ飛び出すだけの体験であれば数百万円で可能になる。豪華客船の旅に数百万円を惜しまない現代人の中には宇宙空間から「青い地球を眺めてみたい」夢をかなえようとする人々も出てくるだろう。しかし、われわれ庶民はまだ、TVやインターネット画面にあらわれる衛星から見た地球を楽しむだけで我慢せざるを得ない。インターネットの天気予報のホームページには「ひまわり」の写真が掲載されている。これはもちろん、気象衛星から撮影した地球の雲の様子である。図9は数時間おきに眺めるリアルな地球の姿である。インターネット上には地図(マップ)を掲載した数多くのサイトがあり、それらについては本欄でもおりにふれて紹介していきたい。

図9

 ところで私の好きなソフトの一つに「The Cities Below」(Now What Software社)がある。これは衛星から見た米国の地図と主要都市について、その詳細な衛星写真を楽しむことができるソフトである。図10はそのメインメニューにあたる画面であり、衛星写真のもとに、主要都市の詳細写真を参照するためのボタンがリンクされており、また、画面左では拡大鏡の形をしたウィンドウ内でその範囲に対応した地図を参照しているところである。

図10

 衛星写真と地図表示はマウス操作で切り替えることができる。いまためしにサンフランシスコ市の詳細写真を見てみよう。図11がそれであり、サンフランシスコ湾の入り口にかかる金門橋がよく見える。

図11

 また、その下にはゴールデンゲート公園が広がっており、画面右側のズームボタンでさらに拡大すると、バンカーまだ見えるほどである。また、右側の拡大鏡内にはその範囲の街路地図が表示されている。なお、湾の右上にはアルカポネが幽閉されたアルカトラス島の姿も見える。
 今度はニューヨークのマンハッタンを見てみよう。画面上で最大限に拡大してみると図12のような詳細図が見えた。上段はセントラルパーク、下段には高層ビルが連なっている。また、拡大鏡では51丁目あたりを見ていることが示されている。

図12

 この主要都市の衛星写真は全米写真上から選択するだけでなく、図13のようなメニューから選択して表示させることもできる。この主要都市の衛星写真はまた、かつて飛行機から撮影した航空写真とあわせることによって時代の推移とともに変化する都市の姿を生々しく描きだすためにも活用できる。上記ソフトの姉妹編として「TimeCity: Flashback Atlas(Now What Software社)」は主要都市について、1946年、1974年そして1995年の姿を航空写真と衛星からの写真にもとづいて比較することを可能としてくれるユニークなソフトである。

図13                          図14

 図14はサンフランシスコのビジネスセンターに姿を変えた「Embarcadero」地区の1946年当時の姿である。画面上段には湾と桟橋が広がり、沢山の船が係留されている。戦後まもなくのことなので、その多くは軍艦らしき姿に見える。つづいて画面右側の年ボタンをクリックして1974年を表示させてみると、図15のように、桟橋にはフェリーらしき船がとまっている。また、下段の建物などの風景も次第に変ってきている。

図15

 そして図16は1995年の姿である。右上はヨット桟橋になったようであり、沢山のヨットが係留されている。この、歴史をたどる地図の世界は画面上で自由にスクロールでき、たとえば、サンフランシスコ市内の任意の個所についてズームしたり、年代を変えてみたり、自由自在にリアルな街の風景を画面上で鑑賞できるのである。また、航空写真や衛星からの写真だけでなく、通常の地図として都市内をナビゲートしてもよい。サンフランシスコに加えて、シカゴやアトランタなど全米10数都市についても同様に街を歩きまわることができる。

図16

 このようにして今回は衛星からの写真を含んだ地図ソフト(コンテンツソフト)について紹介した。3月には日立デジタル平凡社から従来の書籍版全35巻の内容をまるごとパックした世界大百科辞典が発売された。この7万円(5月末まではキャンペーン価格57,000円)のCD-ROM2枚組のソフトにはあわせて「世界地図/日本地図/百科年鑑/百科便覧」も添付されており、これまたぜひ紹介したいソフトの一つである。

(麗澤大学国際経済学部教授
http://www.fsinet.or.jp/~kaikoma/)



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