田中 亘のWindow’s1999

田中 亘


時代が求めるソフトウェアとは?


 この半年ほど、ソフトウェアの売上ランキングを見ると、タイプ練習用のソフトが、一位または上位を占めている。必要なソフトウェアの多くが、買ってきたパソコンに入っている昨今にあって、タイプ練習用のソフトに人気が集まっているのはどうしてだろうか。かねてから、疑問に思っていたのだが、その答えが、「カッコイイ」からだということをある人から教えられた。
 その彼女は、ポストペットをやりたい一心でiMacを購入し、So-netに入会したのだという。So-netをプロバイダに選んだ理由も、「そうしないとモモちゃんが家出しちゃうって友達に言われたから」というものだった。もちろん根も葉もない噂だが、整理整頓された情報(=広告)よりも口コミを信用する最近の風潮にあっては、とっても説得力のある意見だったらしい。その彼女いわく、「だって、キーボードをかちゃかちゃ打てるようになったらカッコイイじゃないですか」とのことで、タイプ練習用ソフトを買って、たまに練習しているのだ。
 もう随分と昔、パソコンといえば根暗な趣味の一つでしかなく、誰からも相手にされないものだった。ところが、いまの時代では、キーボードをはじめとして、パソコンを使いこなせることが、「カッコイイ」という価値観に変わり始めている。ファッションという領域にまで到達しているとは思えないが、文具というよりも、いわゆる雑貨感覚に近いものになりつつあるようだ。
 そんな時代の価値観に、果たしてソフトウェアの作り手たちは、追いついているのだろうか。それは、作り手だけではなく、それを消費者に仲介する媒体にも突き付けられている課題であり、わたし自身も痛感しなければならないものだ。
 なぜなら、パソコンにソフトウェアをセットアップして使うのだ、という自覚のあるユーザーが、ものすごく減りつつあるのだ。ある調査によれば、その割合は3割を切っているという。それだけ、ソフトウェアを購入して使う、という意識も下がりはじめている。それだけに、音楽用CDとかゲーム用ソフトに近い感覚で、アプリケーションが使えるようにならなければ、一般の消費市場に受け入れられるのは、難しいのかもしれない。
 しかし、反対に考えてみれば、市場の規模が大きくなればなるほど、ソフトウェアでできることに対する要求は低くなる。身の回りのちょっとした問題を解決してくれることに、ソフトウェアとしての対価を払ってくれる人も多くなるのだ。家計簿や時刻表などは、すでに成功しているソフトウェアの例だが、その他にも、自分たちの暮らしや日常を再発掘すれば、新しいアイディアが生まれてくるのではないだろうか。
 かつて、表計算ソフトの登場によって、個人の趣味からビジネス市場へと発展したパソコンだが、いまの時代、「個人」こそが新しいソフトウェアを待ち望んでいるのかもしれない。
 ところで、タイプ練習用ソフトの成功例を分析してみると、その秘訣は「周辺機器」にあるのだと思われる。パソコンという道具を突き詰めて考えていけば、その原点は周辺機器の利用にある。キーボードやマウスに、プリンタやドライブなど、わたしたちがいつも使っているパソコンとは、いうなれば周辺機器の集合体だ。そうした周辺機器に対する意識のない人たちに対して、それらを使う楽しさや有用性を伝えることが、いまのソフトウェアに求められているのかもしれない。
 ところが、そのソフトウェアの価値や目的を伝えなければならないメディアが、どれだけパソコンやソフトを使っているのかと問われると、いささか疑問だ。確かに、エディタやユーティリティのようなツールは、上手に使いこなせる編集者も多くいる。業界のトレンドやキーワードを追いかけて、最新の情報を満載した記事を書けるライターや記者もいる。しかし、パソコンをはじめたばかりで、何に使ったらいいのか、どんな周辺機器があれば便利になるのか、そうした原点に戻った疑問に対して、解決策や提案をする媒体や記事が少なくなった。最近では、パソコンの専門誌ではなく、女性誌や情報誌などが、むしろ初心者の視点に立った記事や特集を組むようになっている。
 そう考えてみると、ソフトウェアの作り手も、業界内部だけではなく、もっと広い世界に向かって、アンテナを張り巡らす必要があるのではないだろうか。また、発想や価値観という意味では、「若い感性」も求められている。日本のパソコン市場も、すでに20年以上の月日が流れ、草創期を築いた人たちの価値観と、いまパソコンを積極的に購入している年代とのズレが生じているのかもしれない。それは、自分にも当てはまることで、インターネットや電子メールが、読者の意識も変えはじめていることを最近感じる。たとえば、最近では、読者に公開しているメールアドレスに、質問をしてくる読者が多くなってきた。一昔前に比べると、電子メールによって、情報の提供者と受け手の距離が縮まり、一対一のコミュニケーションも、より簡単で便利なものになっている。それだけ市場の意見や考えを得られる機会も増えている。だからこそ、かつてのような「本を書く先生」的な価値観で情報を発信していると、世の中から置き去りにされてしまうという危機感は、以前にも増して大きい。また、ワイフの友達や子供たちの話題に加わることで、パソコンを使う普通の人の目線というものを、教えられることも多い。
 昔に比べれば、ソフトウェアの技術も進歩している。しかし、それを使う人たちは、まだまだこれからの人たちが多い。それだけに、いま問われているコンピュータ・リテラシーの日米格差を補うようなソフトウェアが、タイプ練習用ソフトだけではなく、もっともっと求められているのかもしれない。



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