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The Notes Day報告

 3月15日 品川御殿山ヒルズにて開催されました「The Notes Day」のイベントから ロータス株式会社菊池社長とレイ・オジー氏のお話を紹介いたします。

◆ ロータス株式会社 代表取締役社長 菊池 三郎氏挨拶

 ロータス ノーツ R4は予定通り今日出荷致しました。数多くの方々においでいただいて、ロータス ノーツ R4の出荷を一緒に祝福できるというのは大変光栄でございます。

(菊池社長)

 この新しいバージョンは、ロータスが長い間ユーザーさんの声を聞きまして地道に開発を進めてきたものでございます。その結果の集大成、そして大幅な機能アップが実現されております。例えばインターネットへロータス ノーツから情報を発信できるばかりではなく、インターネットのWeb情報をいろんな角度でノーツに直接取り込んで、自分なりに整理したりすることができます。メールあるいは情報供給、データベース、あるいはやワープロといったものと全く同じように、ロータス ノーツの画面からインターネットメールの世界に自由に情報を送ったり、受けたり、また整理したりすることができるわけです。
 しかし、ロータスは今後とも高ぶらず奢らず、ユーザーの皆さんの声を聞いてロータス ノーツをますます進化させていきたいと思います。そのためにはもっともっと多くのユーザーさんにノーツを使っていただいて、もっともっと多くのご意見をいただきたいと思います。
 昨年、ロータスは少し元気が無いんじゃないか、ロータスはどうしているのか。こんな声をみなさんから時々いただきました。しかし今年のロータスは違います。今年のロータスはNotesを中心にあらゆる分野でがんがん元気にやっていきます。大いに期待してください。
 実は今日のロータス ノーツ R4の出荷にあたって、ノーツの産みの親“The Father of Notes”であるレイ・オジー氏がはせ参じてくれました。彼は1980年の半ば、まだアメリカでさえせいぜい電子メールということぐらいしか考えていなかったのに、すでにノーツのコンセプトを描き、開発を進めてきました。今日は彼から、どうやってノーツが生まれたのか、どのようにNotesが歩んできたのか、そして今後のノーツはどういう方向にいくのか、というのを短い時間ですが話してもらいたいと思います。

◆ レイ・オジー(Raymond Ozzie)氏のお話

 今回は家族と一緒に日本に来られましてこのような大会に参加でき、また非常に暖かい歓迎をしていただきまして、感謝申しあげます。
 Notesの歴史に関しまして簡単にお話申しあげます。実はNotesの原拠というのは、1970年代まだ私がイリノイ大学の学生の当時に作ったものです。当時私は、コンピュータサイエンスのクラスの授業をとっておりました。当時は作ったプログラムをパンチカードにおとし、処理をしてもらって結果をまた持って帰るといったことをやっておりました。コンピュータとこういう関わり合いというのは、非常にフラストレーションを実感したものです。

(レイ・オジー氏)

 私どものコンピュータラボのすぐ通りをはさんだ向こう側にコンピュータ・エデュケーション・リサーチ・ラボラトリという施設がありました。そこでは、コンピュータを使って是非教育のいろいろな分野に生かしたいと、当時としてはちょっと風変わりな考え方を持っていた人達で構成されておりました。パンチカードを使っていては教育の場面ではコンピュータを生かすことができない、ということで新しいコンピューティングを考えようという非常に創造性にたけた人達でありました。彼らがPLATO(Program Laboratory for Automation Teaching Operation)なるものを作り出したのであります。当時はパンチカードにしか慣れていませんでしたので、極めてユニークなこの端末にはびっくりしました。この端末用にプラズマターミナルというスクリーンの開発や、“指”というポインティングデバイスの使用、オーディオデバイス(CDの前駆者といってもよいと思います)の採用したシステムでありました。パンチカードしか知らなかった私にとっては本当に大きな驚きでした。考えてみますと、1976年このようなマルチメディアが出現していたわけです。
 幸運なことに、このPLATOプロジェクトに私自身関わることになりた。1台のPLATOコンピュータに接続されている端末が、世界的に何千という数であったことも私はびっくりしました。これまで実際に会ったこともない人たちがこのグレートなネットワークを通じて通信を図っていたのです。教育用のデバイスということで開発されたものですが、人々は、グラフィックス機能があるということで、早速このシステムを他の目的に使うようになってしまいました。このシステムでメッセージをタイプインしてコミュニケーションのために使い、オンラインフォーラムなるものを展開していたわけです。これまで一度もあったこともない人たちの間でオンラインのコミュニティができ上がっていました。これは非常に大きな驚きでした。
 この経験は私にとって非常に貴重なものでした。学校を卒業しましてコンピュータの会社に就職致しました。この会社ではDECがVAXを作っていたと同様に、ファミリーコンピュータのプロジェクトを持っておりまして、私も早速そのプロジェクトに参加しました。これは集中型の環境ではなくて、各ターミナルをワークステーションとして、マイクロシステムをその中においておりました。現在、我々がクライアント/サーバーシステムと呼んでいるような原型を踏んでいるということができると思います。ファイルサーバー、プリントサーバーという形で構成されていました。
 次に別の会社に移りましたが、当時から私はコンピュータのプログラムに非常に関心を持っており、カスタムの機能の仕事をしようと思っていました。ある時にIBMの人が私の所にやってきて、まずIBMのパソコンでVisiCalcをサポートし、先々は世界中のコンピュータにVisiCalcを搭載したいという話でした。学生時代にオンラインコミュニティの経験をしていましたので、IBMの担当者と話をしていて、パソコンを使ったLAN環境の中でコミュニティを作ることができるのではないかとひらめきました。そこで私は大学時代の仲間と何人かで集まりまして、Notesの開発につながるプロジェクトを早速スタートさせました。
 当時の目標(Our Original Goal)は、コミュニケーションそして人々の共同作業、コラボレーションです。すなわち、人々の生産性を改善するということ、そしてビジネスの制度を改善するということになります。Notesの基本的なコンセプトは、まさにコミュニケーション イコール 電子メールといってもいいかもしれません。そしていろいろな知識とデーターを共有するためのコラボレーション、いろいろなプロジェクトの進行状況をきちんと把握するためのコーディネーション、そして特定のビジネスアプリケーションを対象としたカスタマゼイションです。このようにコミュニケーション(Communication)、コラボレーション(Collaboration)、コーディネーション(Coordination)をつなげることは非常に重要なことです。
 当時、私たちはこうしたコンセプトを事業化するのに資金調達をしなければまりませんでしたが、幸運にもミッチー・ケイポアにあうことができました。早速このソフトのデモンストレーション1号を彼に見てもらいました。そして、是非援助してもらいたいと思っていました。これは1983年のことですが、私たちの時代を先取りしていたこの辺のコンセプトを説明しても、なかなか理解していただけませんでした。当初パソコンというのは、ワープロや表計算という業務で多く使用されており、そのような環境の中でコンピュータをコラボレーションのために使うコンセプトはなかなか理解してもらえませんでした。
 まもなく革新性の優れた企業と接触することができ、早速、担当者の方達にNotesのコピーを1万本導入していただきました。そういう形でこのプロジェクトの持続を迎えることができたわけです。特に、この場合には大手の企業というニーズがあったわけですが、そのニーズを生かしてNotes Release1の発表が1989年に行われました。そして91年にRelease2、93年にはRelease3ということになります。世界中の言語に翻訳したという意味において、この93年に発表しましたRelease3は私どもにとりまして、大きな成功であったと思います。そして今回のRelease4の製品開発にあたり、これまで以上に深みのある機能を沢山集めており、非常に感動性のある製品となっております。
 お客様からもいろいろ評価をいただいており、この製品に満足せず今後とも発展を目指して、お客様といろいろな話し合いを進めております。また、過去のミスからさまざまなことを学びながら、正しい機能を実現する努力を今後とも重要な課題としてまいりたいと思います。お客様に評価していただいて、コミュニケーション、コーディネーション、コラボレーション、これらを一つにしてダブルケアというコンセプトにまとめましたけども、このコンセプトは当初から正しかったと今でも自信を持っております。クライアント/サーバー、メッセージ、コミュニケーション、セキュリティといった主要なテクノロジーを人々よりも早く取り入れてまいりました。また、パートナーが非常に重要だという私どもの考え、これらも我々の成功の原因ではないかと思います。我々一人ではNotesアプリケーションの全てを理解できるわけではありません。私どもがそのビジョンを信じてきたということ、12年間決してギブアップすることなく、行く行くは業界が我々の後に付いて来てくれるんだという信念のもとに努力したという、この忍耐力が多分に成功の原因だと思っております。
 私達は、またいくつか間違いも犯しております。特にNotes Release3の段階におきましてビジネスパートナー及びパワーデベロッパーの方々のニーズ及び要望を、きちんと理解していなかったと思います。それから大手の企業のカスタマーが考えているようなスキャラビリティ部分に関しましても過小評価したようであります。それからRelease3におきましてはこのグラフイカル・ユーザーインターフェイスがあまりにも複雑すぎたという問題点も指摘されております。このような改良をいたしまして今回のRelease4におきましては、パワーデベロッパーの方には非常に高い評価をしていただき、またスキャラビリティやエッセンシャルの部分に関しまても、きちんと解決できたと思います。Release4は大変使い勝手のいいシステムであり、また使っていても楽しいシステムだと思います。我々のこれからのチャレンジとして、インターネットについてさらなる改善を図ることが重要だと思います。インターネットの登場によってNotesに関して非常に高い関心が得られたということ、そうい意味でインターネットは最高のできごとであったと思っております。
 これまでは開発のサイクルは2年でしたけれども、この開発のサイクルをもっともっと短縮して6ヶ月で新しいフィーチャーを発表したいと考えております。そしてお客様のサポートを今後とも継続して、お客様からいただいております宿題を解決してまいりたいと思います。Notesにビジネスを100%利用しているという現在の環境の中で彼らの信念を裏切ることは決してできないと考えております。
 いろいろなチャレンジはありますが、ロータスにおきましては、非常に優秀な、非常にコミットとしたチームメンバーを育てていくことに非常に好意的です。プロダクトに対しても心身考えている人間でありますし、プロダクトのクォリティをいつも念頭においている人間であります。また、インターネットによってNotesが大きく飛躍することができると思います。お客様もロータスに対してさらなる忠誠心を感じてくださっていることを非常にうれしく思います。そして我々の元々のロゴである、コミュニケーション、コラボレーション、そしてこのWorking Togetherというコンセプトを実際に実現することができたということで、私は非常に幸せです。ありがとうございました。

(レイ・オジー ファミリー)

<事務局より>
本コラムについての文責は、Windowsコンソーシアムにあります。


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