ソフトウエア流通便り(第10回)

カテナ株式会社

祭りのあと
 "Windows95 So What?"これは11月にアメリカで発売されたMac User誌の表紙のキャッチコピーである。そして今月の日本で発売されたWindows World誌には”さようならMacintosh"とあたかもWin vsMac 戦争に終止符を打つかのような刺激的な特集記事とWindows95の発売を契機に、積年のライバル抗争が堂々と新聞やマスメディアの上で展開するようになった。この辺でパソコンのOS覇権争いにお互い決着をつけたいという訳である。
 去る11月23日の祝日に発売され、社会問題にもなったWindows95。発売前からパソコン専門誌どころか一般のマスコミまで巻き込んで、日本中の耳目を集めた騒動も今年の話題の一つであった。秋葉原や大阪の日本橋では特設会場での23日午前零時のカウントダウンをスタートに、約1時間は、深夜開店するパソコン量販店に新発売のWin95を求めて列ができ、一時とはいえ、空前の盛り上がりを見せた。ただの1企業の1商品の発売前から、これほど騒がれ、実際に発売時には予想通りの売れ行きを見せたのは、パソコンソフトに限らず過去に類を見ないものとと言えよう。しかもパソコンは理科系研究者やマニアそして最近ではビジネスマンのツールとして一般化してきたとは言っても、まだまだ家電並みになっていないものでこの騒ぎ、まさに発売メーカーのマーケティング力と仕掛けの成したところである。そのピークも最近(12月中旬現在)ではすっかり収まり、今はWin95のプレインストールマシンを中心とした歳末商戦にそのままなだれ込んだという時期である。今回の日本語版windows95発売狂騒は、私ども流通業者にとっては価格レベルや膨大なハンドリング量、コストから見れば、正直なところ、あまり魅力ある新商品とは言いかねる面もないわけではありません。むしろこの一大イベントを契機に、その向こうに期待できるパソコン市場の更なるスケールアップを期待しての思惑が一般的な認識となっているのではないでしょうか。発売前の量販店からの予約発注量の”確度”や製造メーカーからの入荷量の調整などに腐心したこの1,2か月でした。
 実は、私はこのwindows95発売当日はたまたま日本に居なくて、この眼で確かめるチャンスがなかったのがチョッピリ残念といえば、残念でした。この時期、さる11月16日から17日にラスベガスで開催されたCOMDEX/FALL95への調査参加のため出張しており、帰国したのが発売日の夕刻というタイミングでした。その米国出張目的のひとつには、今年の8月に発売された米国でのWindows95の”その後”を全米の大型量販店の状況を実地踏査により、確かめることにもありました。発売後約3か月を経たアメリカでは、当然ながらOSであるWindows95単体製品は店の片隅に90ドルを切る価格で売られてはいましたが、もはやWin95のプレインストールは常識で、日本でもこの流れは同じと予想されます。むしろWin95対応のアプリケーションがそれほど出揃っていないことが気になりました。しかし発売直後メモリーやHDDの需要が大きく伸びたことは予想されたとは言え、今後の日本市場
の大いに参考になったことも多々ありました。
ただし、パソコンの市場における浸透度は日米の差はかなりあり、米国ではここ数年来20%台の高いところで成長し続けてきた成長率も、企業や家庭への浸透も一段落し、最近で
は陰りが見え始めてきており、一方日本では今回のWin95発売をバネに、パソコンを”情 報家電”の柱にして、一気に個人需要を喚起して行こうという「環境の差」も忘れてはならない。階段の踊り場にさしかかるアメリカと、今まさに階段の下で足を掛けようとしている日本の状況差といえよう。
 だがここで錯覚してはならないのは、日本は米国の後をただ追っているのではないという点である。
日本のパソコンの普及はここ数年特に目覚ましいものがあり、今後の成長を予測するにはアメリカの市場動向は最も参考になってきた。まず一部の専門家やマニアから始まり、ビジネス市場に広がり、ホーム市場に浸透していくパターンをたぶん日本もスピードの差はあっても似たものになっていくだろう。しかしもっとよく見るといくつかの全く違う側面が彼我の差としてある。一つにはパソコンはまず”英語世界のツール”として格好のものであるが、日本語を前提とした、アーキテクチャーには完全には馴染まないのではないか。かつてのタイプライターは完全にパソコンに代わり、いまやアメリカの親は家計簿や税申告に、子供は学校の宿題やレポート作成にはパソコン使用が前提になってきている。いまやアメリカの国民生活には実用道具として普及している。だが日本には、例えば子供のパソコン教育ひとつにしても、アメリカほどの子供の馴染む速さには追い付かない。なぜなら日本語と英語のあいだにはFEPの問題が介在し、子供が英語を学びながら、パソコンにも親しんでいくアメリカとはかなり条件が違うし、キーボードアレルギーは三つ子の時から存在しないわけである。しかしながら好むと好まざるに拘わらず、インターネットだ、Windows95だとパソコンもよく分からぬ一般人まで巻き込んで私達は「電脳空間」の真っ只中におかれつつあり。情報化社会を生き延びるのはパソコンなくしてはありえない。だがそのパソコンハード、ソフトの流通を預かる者として本格的なパソコン黎明期を迎えるに際、先輩格のアメリカの単なる軌跡を追うのではなく、日本のマーケットの特性を見極めて、大げさに言えば国民性や文化の違いも踏まえたマーケティング戦略でなくてはならない。  日本語版Windows95の発売の狂騒は単なる祭でしかなかった、問題はそれをきっかけに我が国パソコン需要の本格期を到来さす呼び水として位置付けられるマーケットが日本にすでに準備されているかであろう。Windows95の発売をきっかけに、ライバルOSのMacintoshの売り上げも上がり、パソコンはまた新たなステージを迎えつつある。価格競争はますます熾烈化し、機能は半年どころか3、4か月ピッチで向上し、流通、販売業にも新規参入者は続くだろう。1996年はますます苦しいビジネスが待っていますが、一方大きな夢を抱いて気を引き締めているという複雑な心境の今日この頃です。
(流通事業本部 営業企画部 部長 佐野英之)

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